癒しどころか皮肉たっぷりで故意にフォルムを崩して発表した「華麗なる円舞曲」を書いた時のショパンは、二十歳。ウィーンの社交界で総スカンを食らったショパンが、パリに移ってまでウィンナワルツが音楽のブームであったことに、気持ちを抑えて『癒しの調べ』を作曲できるものではないでしょう。キャラクターがイメージ通りかも知れませんが、ベートーヴェンは無くした小銭へのいらだちを曲にしています。
ショパンがパリに出て世話をしてくれたのが、シューマン。親友を自称していたリスト。そして管弦楽法の異端児、ベルリオーズと産まれ年は1つずつ違う年子の様な4人組は現代だったら、パンクなロックバンドを結成していたことでしょう。さしずめ楽器の弾けないベルリオーズがヴォーカリストというところかしら。
或いはドラムス担当か。管弦楽の中に多様な打楽器を取り込んだ、粗野なミュージシャン。ガールフレンドを横取りしたリストを良くは思っていなかったというショパン。でも、リストの方がショパンを尊敬して慕っていました。ショパン自身は生涯に公での演奏会を開かなかったけれども、リストが毎日の様にパフォーマンスをしていたからパリ社交界はショパンを慕っていました。それをメディアとしてアピールしたのが年長のシューマン。
昨年生誕200年だったショパンと、今年生誕200年のリストを比較してのユンディ・リの企画イヴェント。インターネット・ライヴは、2011年4月23日 午後8時15分からです。 http://medici.tv/
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