ドヴォルザークはアルバイトでピアノの先生をしていたわけですが、(楽譜も買えないという状況でしたから)ピアノを借りる・・・買うではなくて、借りるお金さえなかったという事です。しかし、それでもピアノの先生をしていたわけです。そして転機が訪れたのが、34歳の時。この時にオーストリアの奨学金を得るために毎年作品を出していたのですが、何回目かに出した『交響曲第3番、変ホ長調』が当時の審査員のヨハネス・ブラームスの目にとまって、『あ、これは』と言う事で推薦されることになります。そして奨学金で、アルバイトしていた頃の倍以上の400グルデンを貰うことになって作曲に専念することができるようになりました。それからはブラームスの支援もあって出版社を紹介されたり、作曲家としての運が向いてくるのです。・・・(第276回 蓄音機でレコードを楽しむコンサートでの解説よりテープ起こし) http://ow.ly/4IIrh
音楽ファンの永遠の名盤 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
2011年4月24日に熊本博物館で行ったコンサート会場での蓄音器再生をPCM録音(音源を編集、mp3変換しています)。その為に静かなところで咳をする音、物を動かす音が聴こえます。また途中周期的に金属音が聞こえますが、ねじ巻き式蓄音器のゼンマイがゆるむ音です。テープ起こしの文章は、言葉の表現は熊本弁混じりの味わいを残す程度にして多少整頓しています。
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